2017/05

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 「そしてまた私共が、あなたに躓くことがございませんように。」
(キェルケゴール 著、井上良雄 訳『キリスト教の修練』(新教出出版社)第一部 祈願)


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「どうぞ私共があなたを、あなたが現在においても、過去においても、また、将来栄光の中に再び来り給う日まであり給う如きものとして --- すなわち、躓きの徴として、また信仰の対象として、見奉ることができますように。」
(キェルケゴール 著、井上良雄 訳『キリスト教の修練』(新教出出版社)第一部 祈願)

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「しかし、一人の信仰ある者がいる限り、彼が信仰ある者となった以上は、彼もあのイエスと時を同じくしてこの世にあった人々と同様に、イエスの現在と同時的であったに相違ないのである。また彼は、信仰ある者として、いつまでもイエスと同時的であるに相違ないのである。この同時性というものが信仰の条件であり、さらに厳密に定義すれば、信仰そのものである」
(キェルケゴール 著、井上良雄 訳『キリスト教の修練』(新教出出版社)第一部 祈願)

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 俺にとって、キェルケゴールにとってのキリストは、  である。
しかしこのことによって、キェルケゴールと俺の、質的な = 量では計測できない差が発生する。
すなわち、キリストが「赦す」のに対し、
〈おそらく〉  は俺を赦さぬだろう。

(それでも、俺は、赦される、ということを信仰〈せねばならない〉!)

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哲学が、愛と、民族と、思想の対立を、思索を以って結びつけた。 しかし、彼らは1つにはならなかった。 互いが独立したまま、哲学がそれらを乗り越えると言う形で結びつけたのだ。

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