2017/07

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 この著作においては、既存のキリスト教会への批判が、〈隠された主題〉でありつつ、ただそれ以上に、この〈隠された主題〉を謂わば覆っている〈信仰論〉が、信仰についての本質を明らかにしている。つまり、キリストが神であること、すなわち、信仰の対象であること、このことについての言わば〈信仰論的〈証明〉〉とでも名付けられるような内容なのであり、またそもそも〈信仰とは何か〉についての著作と言えるかもしれない。

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・キリスト教の修練 24 - 2(2012/02/18)
「「もし私の生が汝の眼を真理に対して開くことができぬのなら、
  真理とは何かということを汝に語るのは、
  私にとって何よりも不可能なことである。
  私が他のすべての者と異なっているのは、
  この問いに対する他の者の答えが全然正しいというようなことはもとより決してないのに対して、
  私はこの問いに対して絶対に答え得ない唯一の者だという点にある。
  それは私が真理で〈ある〉からである」」

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 (ここにはいわば、キェルケゴールの〈真理論〉とも称されるべき内容が展開されている)

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「彼は助けを要する者を、
 自ら探し求め給う。
 (中略)
 ほとんど叫ぶように、
 来れと語り給う」

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「おお、なんという驚異であろう。
 助けをもたらし給う方、その方が、来れと語り給うとは、
 なんという驚異であろう。
 なんという愛であろう。
 (中略)ここでは、助け得る者が、
 自らを申し出給うのである。
 (中略)大声で、一般に触れ給うのである。
(キェルケゴール 著、井上良雄 訳『キリスト教の修練』(新教出出版社)第一部 招待)

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