2017/09

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「つまり、結局は、生そのもの、生きる喜び、そして、生きた自然性の超自然性の中に、われわれは滅びることのない実存の証を見出すことになるだろう」

 「取り消しえないことの永遠はただ単に死だけにあてはまるのではなく、また生きたという事実にも妥当する。まったく同じように、いや、さらにそれ以上に・・・」

(ジャンケレヴィッチ 著、仲沢紀雄 訳『死』(みすず書房)第3部 第4章 2「存在した、生きた、愛した」)

悲しい×××は、××××××いた。やはり、自己に絶望する。

「死は生きている存在を無と化し、そのあとで忘却が死の仕事を完成して、死が見逃したものをすこしずつ消し去る。だが、故人の最後の記憶とその地上の存在の最後のあとかたが、名前を含めて人びとの記憶から消え去ったときでさえも、忘れられ、無視され、破壊され、世紀の重みでつぶされたこの人の知られない実存に、なおもなにか破壊し絶滅し尽くせないものが残ることだろう。そして、なにものも、絶対にこの世のなにものもこのなにかを消滅させることができない」

「いずれにしても、次のことは死ぬべきものの側からの仕返しであり、慰めであり、希望だ。つまり、死は生きている存在のすべてを破壊するが、生きたという事実を無と化することができない」

「われわれが事実性と呼ぶ、眼に見えず手に触れえない単純で形而上学的なこのなんだかわからないものだけが虚無化を免れる。すくなくもこの点で、死の爪がけっして把えることのない不滅なものがある。全能の死もすべてをなすことができない」

「存在するものがかつて存在しなかったとすることはできず、根源的な事実性の根を引き抜くことはけっしてない」

「永遠の生、つまり、存在したという消しがたい事実は、死が生きている人間に対しておこなう贈物だ。〈存在した〉という事実は、つまり、文字通り〈永遠の瞬間〉だ」

「というのは、もし生涯がはかないものだとしても、はかない生涯を生きたという事実は永遠の事実なのだから」

悲しい×××は、確かに×××いた。そしてこれは事実であり、永遠である。やはり、自己に絶望する。

「〈有限性が無限に〉貴重なのだ。生命が根づき、生命自体を1つの神秘とし、生をその条件として死に結びつけ、生と死という2つの相容れないものを悲劇的にも互いに連帯関係するなにか説明できないものがある。その結果、生と死とは、同じ闇の中で、ただ1つの奇跡となる。」

「人は生きたという事実性と存在したという事実性を認めながら、その理由を理解していない」

「愛したということだけだ。(中略)愛した、そして、生きたのだ。これらの郷愁を呼びおこす過去形の動詞から魔力のようにたちのぼってくるものこそ、実存の神秘のすべてではないだろうか。それはまやかしの慰めであり、まったく粗末なあてがいだと人は言うだろうか。だが、この粗末なあてがいこそもっとも貴重な路銀なのだ」


−−−−−


 死は虚無化である。生の虚無化である。しかし生きたという事実性を、虚無化することはできない。生は、死という虚無化の故に、生であるのだ。実存という無限の価値は、死によって初めて価値となるのだ。

 ××××の悲しい×××は、しかし、実存の充実を1人称的に享受することなく、×××しまった。××××の悲しい×××は、自らの××××しなかった。しかし、「×××」という表現を適当することができる故に、悲しい×××は、確かに〈×××いた〉。実存という根拠のない無限の価値を、自ら享受することなく×××いった悲しい×××への、×××、そして、××××は無限だ。決して許されることはないし、許されようともしてはいけない。

 俺は、俺のもたらした、あらゆる絶望を、絶望として受け取り続けなければならない。永遠に。

 ×××−−−。「××××××」という事実、「×××××」と言ってくれた事実、それだけで俺は今、〈救われている〉。ただそれも、×××××××ことで、永遠となったわけだが−−−。

 俺は今日、ジャンケレヴィッチの『死』を読み終えた。また1つ、進み、確信し、滞留した。


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