2017/11

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  絶望、望みが絶たれる。望みのどのような様態が(もっと良い表現はないか)?

 望みの概念を、つまり何らかの幸福な実現の到来すること、か。それとも、望みの実現を、か。俺の場合は(すなわち、実存の場合は)−−−、望みの概念〈は〉ある。しかし、望みの実現は絶たれている(注意しなければならないのは、望み自体の観念がなくなるということではない。絶望においても。絶望を自覚すればするほど、絶たれた望みが浮き彫りになる)。

 この場合、俺は望み、具体的な望みを想定できているから、階層的には〈浅い〉絶望なのかもしれない。だからと言って、俺の絶望が非本質的だというのでは、決してなかろう。−−−、自己に絶望してしまう。

(何か理想的な未来があったか。)

 −−−あった。

(それを実現したいと思っているか。)

 −−−思っている。でも、もうできない。

(ではそれは望みが絶たれている、つまり絶望の状態か。)

 −−−そうだ。しかし−−−、今また、別の望みを抱いている・・・、この絶望を抱えたまま、失われた×××のために喜びに溢れた日々を××××××)過ごすことだ。

(その望みは実現される可能性があるか。)

 −−−分からない。しかし、望みを持っている時点で、俺は絶望していないのかもしれない。でも・・・、そうか、いや、望みという言葉、概念の意味を考え、もしくは確定しなければならない。

 絶望、望み、決意。

 実存、痕跡、取り消しえないもの。

 愛。

 保ち続けること。

 決意。

(−−−、だとすれば、このような意味で、「哲学は概念の創造だ」という定義は、或る意味正しい(ドゥルーズ『哲学とは何か』/どこかで読んだことがある)。しかし必要条件ではあるが、充分条件では〈ない〉。つまり同時に、発見でもある。発見と創造は、一見相反しているが、実は同一である。哲学は、すでにそこにあった、創られる必然であった物事を自らの手で無から創造したかのように、発見する(この一文は上手くない(説明できていない))しかし、それは確かに発見だが、哲学自身にとっては創造なのだ) 


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